如何にして2次元に夢中な残念女子がSMAPにハマったのか ①
タイトル通りです。
やはりジャニオタとしてのブログとして、自己紹介も兼ねて私のジャニオタとしての履歴を晒さなければならない気がしました。
そして私にとって一番最初に書かなければならないジャニーズといえばSMAPなのです。
私がスマにハマったのは小学生の頃。
私が小学生の頃、世間はいわゆるSMAP現象の頃でした。
うっすらとした記憶をたどると私はアイラブSMAPを見てキャーキャー言ってました。
姫ちゃんのリボンや赤ずきんチャチャを毎週見て、アイラブが終わった後もスマスマを母に録画してもらい、皆が必死で料理したりコントしたりしているのを喜んで見ていた記憶があります。
というか、母親が既にその頃SMAPファン、特に木村の大ファンで、カネボウスーパーリップの広告やオロナミンCのポスターが戸棚の硝子のところとかに貼ってありました。今でも母は「ハリウッドの恋愛映画なんか見るくらいならロンバケ見たほうがずっと面白い」と言い切る木村ファンです。
6人のSMAPもちゃんと記憶に残っています。
アイラブSMAPで俺たちに明日はある歌ってるとことか、008タコマックスのCDジャケの森君足長すぎかっこよすぎとか、子供ながらに森君歌上手いなとか。
そして森君が脱退すると聞いた時、母親と「これからどうなるんだ…」と暗い声で語り合ったことも覚えています。
不思議と、6スマ時代の記憶は森君関連のことばかりですね。やっぱ印象的だったんでしょうか。
結局SMAPは森君がいなくなった後もスター街道を爆走していくわけですが、5人になったSMAPもずーっと好きでした。MステうたばんHEYHEYHEYなど音楽番組、スマスマ、ぼくいき、サタスマ、どっちの料理ショーなどのバラエティ、古畑vsSMAP、ビューティフルライフほか多数のドラマ。わくわくしながら見てました。5人になったSMAPも本当に魅力的でした。母と私の心配は杞憂でした。
叔母がSMAPライブに行ったおみやげに母親だけライブグッズの下敷きを貰ってた時は本気でそれちょうだいとおねだりをし、しかしもらえなかったことをいまだにちょっと根に持ってます。(だってすごいかっこいいんだもの!あの下敷きのスマ!!)
今まで書いてきて改めて実感しましたが。
ぶっちゃけ私は二次元に夢中になる前からSMAPが大好きだったんですね。
主に母親の影響で。
なんだこれタイトル詐欺か。
それは中学に入学してからも変わらなかったのですが、その頃に私は二次元に開眼してしまい芸能界に対する情熱を失っていきます。
中学生で二次元に開眼した女子にありがちなんですけど、ほんと今はあの頃のこと思い出したくないくらいの黒歴史です。現在も二次元大好きだけどなんかあの頃の痛々しさはなんなんだろう。あれが厨二病なんでしょうか。
それでもSMAPは好きだったんですが、周囲はもっと若い子とかバンド系の方に夢中だったんで芸能系の話が合う子がいなかったんです。
オタ趣味の方は話が合う友達が結構いましたが、その子たちともスマの話はできませんでした。
それにオタク趣味に関しては金に糸目をつけず漫画買ったりグッズ買ったりしてましたが、SMAP関連ではCDアルバム買うくらいでほとんど出費してませんでした。
アイドル雑誌どころかTV雑誌も買ったことなかったですし、スマ関連書籍も母親が買ったビストロのレシピ集ぐらいでした。
母親もSMAP好きでしたけどお茶の間ファンでしたしね。
この頃の私に「お前は10年後にテレビ雑誌を厳選して購入したりファンクラブに入ったり舞台見に行きたいライブ行きたいと喚いたり紅白他年末年始特番を録画するためにハードディスク内のアニメを消すようになるんだ」と伝えても絶対信じなかったと思います。いまさらですけどほんと紅白最高でしたね。アラフォーおじさんアイドルは神。
そんな私に転機が訪れたのは高校入学後。
忘れもしない自宅でテスト勉強中なのにちょっとサボって漫画を読んでいたあの時。
母「入るよ」
私「ちょまっ(漫画を速攻隠して)何のよう?」
母「…あんた、SMAPのライブ行きたい?」
私「へ…?えっ…まさか…」
母「ライブチケット、余ったんだけど一緒に行く?っておばちゃんから電話来たの」
次の瞬間私は母親に抱きついていました。
こうして二次元どっぷりなオタク高校生の私は人生初のSMAPライブに行くことになったのでした。
長くなったので続きは次回